難聴と認知症について

みなみなかのたけのこ耳鼻科 院長 河野 淳先生にお話しを伺いました。

難聴をそのままにしておくと認知症になる!?

ある統計によりますと、日本人の8人に一人、約1300万人は難聴者であり、そのうち半数は、自分の難聴に気付いていないと言われています。さらに最近の世界的な研究で、難聴が痴呆症に大きく関係すると分かってきました。

【1】認知症の最大の要因は難聴
昨年7月20日の The Lancet Commissionsに、認知症の予防とケアについての論文がでました(Dementia prevention, intervention, and care)。
この論文は、英国ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのジル・リビングストーン教授が発表した30ページ以上にわたる論文です。

実は認知症の一番の原因が聴力低下(難聴)であると言うのです。

認知症は2015年時点で世界に約4700万人おり、50年後には約3倍の1億3100万人になると予測されています。世界の経済的な負担は15年時点で8180億ドル、50年には約2兆ドルを超える見込みです。
この研究で分かった最も大きなことは、認知症になる要因の割合を調べたところ、中年期(45〜65歳)の聴力低下で全体の9%を占めたと言うことです。次は中・高等教育(18歳未満)の低教育が8%で、それなりの教育を受けることは、脳を活性化して認知機能を高めると同時に、食物に気を遣ったり運動をしたりして健康に気を配るので認知症になり難いと言うことです。
このほかに、中年での肥満、高血圧、65歳以上の高齢者での喫煙、うつ、活動量の低下、社会的な孤立、糖尿病が、十分にevidence(証拠)があるリスク要因であり、これらの9つの要因を改善することができれば、認知症の3分の1を防ぐことができると分かりました。
従来から考えられていた遺伝的な要因は7%にすぎなかったのです。

今までの報告では、米国、英国、スウェーデン、オランダなどでこのようなリスク要因を改善し、生活習慣を変えると、認知症が減るという報告がすでにあり、その大部分は教育によるものです。
日本では2015年「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」にて、認知症発症の危険因子に、加齢、遺伝、糖尿病、喫煙に加えて難聴をあげています。
認知症の治療はなかなか進んでいません。新薬開発は今のところ、うまくいっていませんし、世界保健機構(WHO)や厚生労働省は、まだまだ時間がかかると考えられており、予防することで認知症を減らすことが、医療コストの削減につながると考えているのです。WHOでは、聴覚ケアに対する認識を、個人、専門家、政策立案者など、あらゆるレベルで高めていく必要があると考えています。

【2】難聴がなぜ認知症を?
では、なぜ難聴が認知症を引き起こすのでしょうか?
これは、最近研究が進んでいる「脳の不思議な働き」によるものです。聞こえが悪い状態が長く続くと厄介なことにつながる可能性があるのです。

 米国ジョンホプキンス大学のフランク・リン博士は、長年にわたり難聴と脳機能について研究してきました。その結果、難聴で音の入力が少なくなると、脳の中で音の伝達・認知に司る部分の萎縮が進み、この部分は思考や記憶にも重要な役割を果たす場所なので、それらの能力にも影響すると言うのです。例えば1歳年をとることでの認知機能テストのスコアを比較したとき、健康な人は0.5減だったのに対して、25dBの難聴者は3.86減でした。25dBの難聴は7歳分の加齢と同等ということです。難聴が進むと、それだけ認知症の発症のリスクが高まるとも言っています。軽度難聴では約2倍、中等度で約3倍、重度で約5倍となっていると言っています。(Lin et al. 2011. Compared with normal hearing. increased risk of dementia)

言葉を聞くというのは人の脳を働かせるコミュニケーションと関係していて、
会話をしていると次に相手は何を話すのだろうと推測し、自分が次に何と答えようかなどを考えています。そうした聞こえに関する脳のネットワークが、難聴があることにより崩れてしまうことで、認知症が始まると考えられるのです。

このメカニズムには、認知負荷仮説と共通原因仮説があります。

①認知負荷仮説(Cognitive Load Hypothesis)
別名、Effortful Listening仮説(努力して聞こうとする説)とも言います。難聴の人は、日常生活で、耳から入ってくる少ない情報から内容を理解するために、無意識のうちに人よりも多くのワーキングメモリーを消費してしまっていると考えられます。
つまり、「難聴の人は、日常的に、音声の聞き取りに多くのワーキングメモリー容量を使ってしまい、それが認知機能の低下に影響する」という理論です。

②共通原因仮説(Common Couse Hypothesis)
「神経病理学的に共通する病因である遺伝や微小循環障害などにより、難聴と認知機能低下が生じるとする」という理論です。

 一例をあげます。物忘れということをしばしば、経験するかと思います。人は聞こえに問題がない人でも、年をとると(加齢により)より物忘れが多くなっていきます。認知症と言えない人でもしばしば起こることです。それが、難聴があるとより多くなると言うことです。

【3】難聴を引き起こすメカニズムは?
では、難聴になるのは何故なのでしょうか?

 難聴発症の危険因子には、加齢、遺伝性のもの、糖尿病、喫煙などが従来から言われてきました。年をとると難聴になるのは当たり前と言えます。何ら耳の病気が他になくても65歳では3分の1の人が何らかの聴覚障害があると言われます。もちろん、中にはスーパー健聴高齢者もいます。80歳以上の数割では、若い人と同じくらい聞こえる人もいます。

何が難聴を起こすのでしょうか?
現在の社会ではその一番の原因は、騒音と考えられます。
10-20代の頃に、大きな音量で音楽などを日常的に聞いていると、60才を過ぎてから加齢性難聴になるリスクは高くなると考えられます。大音量では一気に悪化しますし、問題は一度、聴覚機能が傷害されたら元に戻らないことです。

ではどう対策をしたら良いのでしょうか?

若い人は、大音量を聞かないようにする?
高齢者は、聞こえが悪いと思ったら耳鼻科に行く?

そして、治療法が他に無い場合には、難聴になったら早期に補聴器を使い、難聴の負荷を減らすことが、脳への入力を減らすことなく、脳のワーキングメモリーを余分に浪費することなく、神経ネットワークを保つのに大切なのです。

【4】難聴はどうやって発見し、克服する?
聞こえが悪いと思ったら耳鼻科に行くと書きましたが、実際には聞こえにくさは自覚しにくいものです。表に自己チェックリストを上げましたが、10の質問事項のうちに、2つ以上当てはまれば「難聴」の可能性があります。
これまで述べてきたように、さまざまな騒音がある社会で生活している私たちは、加齢により聞こえにくくなるのは特別な事ではないのです。誰にでも起こる可能性があるのです。

表 「聞こえ」のチェックリスト (『「聞こえ」に不安を感じたら』)
□1 「え?」「何ですか」と聞き返す
□2 何かを言っていることはわかるが、何を言っているのかわからない
□3 1対1の会話は問題がないが、大人数や少しうるさいところでは聞き取れないことがある
□4 早口やはっきりしない人の声が聞き取れないことがある
□5 会議や会合で聞き取れず、二度聞きすることがある
□6 「テレビの音が大きい」などと家族から指摘される
□7 銀行、役所、病院などで名前を呼ばれて気づかないことがある
□8 アラームやインターフォンの音など、周りの人が気づいている音に気づかないことがある
□9 耳鳴りがして聞きにくい
□10 家族以外の人から難聴を指摘される
チェックリストで2つ以上当てはまれば、耳鼻科の専門医を受診しましょう。6つ以上当てはまる人は補聴器の装用を考慮しましょう。

加齢性難聴は老人性難聴とも言いますが、この難聴にはとてもやっかいな問題点を含んでいます。
どんなことでしょうか?

 実は、加齢性難聴者は聞こえているのです。ただし、全て聞こえているのではなく、大きめの音声が聞こえており、聞こえていない音声は、難聴の程度によりまちまちで、話し手のことばが全て、その通り聞こえているのでは無いと言うことです。そして、最も難聴者を戸惑わせることは、ある程度の音は聞こえており、話し手の言っている言葉がおかしいのではと感じてしまうことです。
通常、加齢性難聴では高音部から聴覚障害が進みます。そのために聞こえない音声は、いわゆる子音のカ行、サ行、タ行、ハ行などです。それに対して母音(ア、イ、ウ、エ、オ)は最後まで良く聞こえます。そのため、話してが、例えば、「魚(sakana)」と話したときに、加齢性難聴者には「aana(ああな?)」と聞こえるのです。これが話の中で、「肉」と「魚」のどっちが好きという話題なら、「aana」でも「魚」と認識できるのですが、いきなり話題が変わったりした場足には、「魚」と認識できず、「え、、何?」となってしまいます。

とかく、日本人は、外見を気にする保守的な民族と言えます。
少しぐらい聞こえなくても我慢したりします。仮に補聴器を使いましょうと、病院で言われても、補聴器に抵抗があると、なかなか補聴器装用に至らない人は多くいます。その理由には、いくつかありますが、ここでは3つに絞って説明します。①雑音がする、聞きたい音声が聞き取れない、②値段が高い、③まだ聞こえるので使いたくないです。

①雑音がして聞きたい音声が聞こえない
確かに、最初はその通りです。それはそれまで聞こえていない音がいろいろ入ってくるからです。それまで使われていなかった聞こえの神経ネットワークが刺激されているのです。本来、生活空間にある音声なのです。それが一気に入ってくるので戸惑っているのです。そのことを理解し、その音声になれていかなければいけないのです。数か月、少しずつ慣れる努力をすることで、格段に聞こえの世界が変わることもあります。もちろ、これには補聴器の適切な調節が必要なことはいうまでもありません。

②値段が高い
確かに片耳で50万円以上する高い補聴器はあります。しかし、20万円以内のものであれば、ある程度の方には、それなりの効果をもたらします。値段の差は、機器のさまざまな音声処理のプログラムが入っているかどうかで決まります。例えば、ハウリング抑制、音声と雑音の分離(音声強調、騒音抑制)、学習機能、方向感の改善などです。

なぜ、これらのプログラムがあるのでしょうか?
それは、ずばり、人の耳がこれらの音声処理をしているからです。20年ほど前からのデジタル補聴器の普及以来、人の耳の音声処理に近づいているとは言え、けして人の耳と同じようになることはあり得ませんが、日々世界各国の補聴器メーカーが技術進歩・開発にしのぎを削っているのは確かです。
詳しくは、耳鼻科医師、補聴器販売員に聞いてください。

③まだ聞こえるので使いたくない
使いたくなくても使った方がよいのです。使わないことにより困るのは、もちろん本人です。人とのコミュニケーションが減ることにより、人との会話や団らん、会合や外出の機会などが減ってきます。そして知らない間に、人と話をすることに抵抗を感じ、ますます人のコミュニケーションに入っていけず「疎外感」を感じます。
それと同時に、家族や周囲の人が困ってきます。ますます孤立することになります。そして、そのままにしておくと、痴呆症やうつ病になったりして、ますます家族、周囲の人に迷惑をかけることにもなりかねないのです。

難聴になっても、コミュニケーションの減少しないよう、脳への刺激の減少しないよう、認知症を発症するリスクが高まらないように、ぜひとも、補聴器を使うことを一度は考えていただきたいと思います。

難聴になっても、コミュニケーションの減少しないよう、・・・・・・ぜひとも補聴器を使うことを考えていただきたいと思います。

みなみなかのたけのこ耳鼻科 院長  河野 淳 先生
熊本県出身。1985年、防衛医科大学卒業。東京医科大学を経て、1992年ATR視聴覚研究所客員研究員。その後、豪州メルボルン大学耳鼻咽喉科留学。2008年、東京医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科教授、聴覚・人工内耳センター部長。人工内耳などの難聴者治療を専門とする。手術症例2,200例。最近では先天性難聴者の医療のシステム化を模索している。 2022年4月より現職。